リーブルボーテ
昔、チチカカ湖にある太陽の島 (Isla del sol) に、マンコ・カパック (Manco Capac) とその妹ママ・オクリョ (Mama Ocllo) が現れた。彼らは湖の彼方からやってきたとも、天から降り立ったとも、湖の中から現れたともいわれる。ママ・オクリョは太陽の島ではなく隣の月の島 (Isla de la luna) に現れたともいわれる。
マンコ・カパックは太陽の神インティ (Inti) の子であるという言い伝えと、チチカカ湖周辺の民族を巨大な津波により征服したビラコチャ (Viracocha) の子であるという言い伝えがある。天の神パチャカマック (Pachacamac) の兄弟ともされる。ママ・オクリョはマンコ・カパックの妻でありビラコチャの娘であるともいわれる。
インティ伝説によると、太陽の神はマンコ・カパックとその兄弟たちをパカリタンボ (Pacaritambo) という洞窟からこの世に遣わした。インティはタパク・ヤウリ (Tapac Yauri) と呼ばれる金の杖を与え、その杖が地面に沈む地に太陽の神殿を作るように指示した。 マンコ・カパックはママ・オクリョたちとともに地下の道を通ってクスコに行き、父インティを讃える神殿を建設した。クスコへの旅の途中、何人かの兄弟は石になり、偶像(ワカ : Huaca)になった。
ビラコチャ伝説によると、マンコ・カパックと兄弟はビラコチャの子供で、クスコに近いパカリ・タンプ (Paqariq Tanpu) という所で暮らしていた。アヤ・アンカ (Ayar Anca)、アヤ・カチ (Ayar Kachi)、アヤ・ウチュ (Ayar Uchu)、ママ・オクリョ、ママ・ワコ (Mama Waqu)、ママ・ラウア (Mama Rawa)、ママ・クラ (Mama Cura) という兄弟姉妹たちとクスコの谷へ遠征しながら近隣の10の部落を併合していった。この時、支配者の象徴である金の杖が父ビラコチャによりマンコ・カパックに与えられたとされるが、一説にはマンコ・カパックは兄を嫉妬と裏切りで殺してクスコの支配者になったとされる。
複数の伝承の矛盾に気づかせないために、庶民はビラコチャの名を口にすることが禁じられていたといわれる。
なお、伝承に残っている
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帝国の王(皇帝)のうち、この初代のマンコ・カパックだけは実在しない人物であるという説もある。
ピラミッド (Pyramid) は、エジプト・中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称。また、同様の形状の物体を指す。その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない業績などを表す代名詞となっている。
古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。王が天に昇る階段としての役割や、その斜めの外形が太陽光を模したものであるとも考えられている。ピラミッドは単体で完成したものではなく、付随する葬祭殿等との複合体として考えるべき特徴を持つ。(大ピラミッドなどの代表的な例では)ピラミッド本体には基本的に北面に入り口があり、玄室(と思われる部屋)に至る道や「重力分散の間」と呼ばれる謎の機構など、未解明の仕掛けがある。労働者の墓の発掘で、多くの死者が出たことがわかっている。
ヘロドトスの『歴史』に記述されて以来、一般的には奴隷の築いた王墓とされてきたが(“奴隷”の記述は階級闘争を進めるソ連の教科書に初めて記述された)、1人の王が複数のピラミッドを築いていることや、内部から墓としてのミイラがまだみつからず、多くのピラミッド建造に関わったとされる住居跡から豊かな生活物資や住居人のミイラ(身分が高くないとミイラにはされない)が発見されたことなどから、農閑期における農民達の公共事業説がほぼ定説となっている(もっとも労働力として動員された中には奴隷も存在した可能性はある)。
ギリシア語で三角形のパンを指すピューラミス(πυραμ?? pyramis ピラミス、ピラムスとも)に由来する、という説が最も有力。古代エジプト語ではギザのピラミッドに「昇る」という意味の「メル(ミル、ムルとも。ヒエログリフでは△と書く)」という言葉を当てていた。
現在我々が見るようなピラミッドの形態はある時点で突発的に形成された訳ではなく、
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もかけて練り上げられてきたものである(ただし、それぞれのピラミッドはその形状で完成形態であるとする研究も出てきている)。
ジェセル王の階段ピラミッド階段ピラミッドはピラミッドの最初の形態で、第3王朝時代サッカラに、宰相イムホテプが設計し、ジェセル王が築いた物がその始まりである。当初は日干し煉瓦による方形のマスタバとして建立されたが、後に煉瓦を積み上げて階段状の巨石建造物と成した。一度階段形態が完成した後も、追加して拡張が成された。完成時の寸法は東西約121m、 南北約109m、 高さ約60m。
スネフェル王の屈折ピラミッド第4王朝期に入ると、スネフェル王が既存の
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を基調に51度の勾配を持つピラミッドを造り上げた。このメイドゥームのピラミッドは最初に四角錐の形状を採用しており、その意味では画期的な建造物であった。ただしこれは後に(あるいは建設途中に)崩壊した。このピラミッド(崩壊ピラミッド、偽ピラミッドとも呼ばれる)はそもそも四角錐を目指していなかったとする説もある。また、このピラミッドをスネフェルの物として数えない場合もある。
スネフェル王はまた屈折ピラミッドと称される事になるピラミッドも築いた。これは建設途中に(地上から49m地点で)勾配を約54度から約43度に変更していて、高さは約101mであった。 屈折ピラミッドの形状の理由としては、
勾配が急過ぎて危険なため(崩壊の危険、玄室にかかる重量過多)角度を途中で変更した。
建造中に王が病気になったので、完成を急ぐため高さの目標を下げた。
これはこれが完成形であり、下エジプト・上エジプトの合一を象徴している。
などの説がある。
クフ王のピラミッド断面図
1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.未完の地下室 5.脱出孔 6.上昇通路分岐点 7.女王の間 8.大回廊 9.控えの間 10.王の間 11.重力軽減の間 12.通気孔
オリオン座(写真)
オリオン座(図示)スネフェルは更にダハシュールにおいて、勾配約43度で、側面が二等辺三角形の赤いピラミッドを建造。これによっていわゆる真正(しんせい)ピラミッドの外形が完成した。スネフェルが1人で3つもピラミッドを築いている点から導かれる王墓説否定論に対しては、メイドゥームのピラミッドは勾配がきつ過ぎて崩壊、同様に屈折ピラミッドは一定の高さ以上に出来なかったので挫折した妥協の産物でしかなく、最終的に43度のピラミッドが誕生した、という反論がなされて来た。
世界一高いピラミッドは、スネフェルの次のクフ王によってギザに築かれたギザの大ピラミッドで、勾配は51度52分。底辺は各辺230m、高さ146mに達する。長さ・高さの比は黄金比であり、またこれは14世紀にリンカン大聖堂の中央塔が建てられるまで世界で最も高い建築物であった。第2位のカフラー王のピラミッドもこれに匹敵する、底辺215m、高さ143.5mである。この2つに隣接するメンカウラー王のピラミッドは何故か規模が縮小し、底辺108m、高さ66.5mである。この王の威光が前二代の王と比してさほど劣るものではなかったと伝えられることから、縮小の理由は謎とされている。この3つはギザの三大ピラミッドと呼ばれ、世界有数の観光地となっている。これらのピラミッドは表面に化粧板が施されていたが、剥がされてカイロ市街地の舗装に使われてしまい、現在ではカフラー王のピラミッドの頂上辺りとギザのピラミッドの土台元に僅かに残っているのみである。
この三大ピラミッドおよびナイル川の(当時の)流れ、そして他の多数のピラミッドとの配置に着目し、ピラミッド群は天体の配置を模したものであるという説もある。すなわちナイルが天の川で、三大ピラミッドがオリオン座の三つ星に相当、他のピラミッドも星の位置を反映しているということである。三大ピラミッドの内、メンカウラー王のピラミッドが他の2つの頂点を結んだ線からずれている点、大きさも他の2つよりも小さいことに付いて説明する有力な説とも言われている。ただしこの説は一般的に考古学者たちには認められてはいない。